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大阪地方裁判所 昭和44年(わ)942号 判決 1971年12月04日

主文

被告人を禁錮六月に処する。

この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(本件事故発生にいたるまでの経緯)

一、和泉川丸は、川崎汽船株式会社所有の、神戸市を船籍港とする総トン数七万一、五七六トン、長さ273.10メートル、幅四二メートル、探さ23.30メートル、船質鋼の超大型油槽汽船であつて、昭和四三年一一月一一日、船長野村勲以下三四名の乗組員により、イラン国カーグ島よりイラニアン原油約一一万五、〇〇〇余トンを積載し、同年一二月一日午後四時三〇分ごろ、大阪府堺市築港浜寺町一番地ゼネラル石油精製株式会社堺製油所の原油桟橋に、船首を東南東に向け、船体右舷側中央部を横付け係留した。

和泉川丸積載の原油は、ライト原油が約七トンで、同船の中央に船首から順に縦列する中央タンク一番から五番に、ヘビー原油が約四万五、〇〇〇トンで、同船の両舷にそれぞれ船首から順に縦列する各一番、三番および五番の各タンクに分けて積載されていた。各タンクには、その上部甲板上に直径約一メートル三〇センチ、高さ約七五センチの丸型のハッチがあり、そのハッチには、そのタンク内の油量を計測するための、直径約三〇センチ、高さ約一〇センチのアレージホール(またはピープホールともいう)が取り付けられており、また、各タンク内の下部には直径約六〇センチの油送パイプがあり、積載原油はポンプにより右パイプを通して陸揚げされる。ポンプには、一号から三号の三種類があり、一号ポンプは両舷の各タンク内のヘビー原油を、二号ポンプは中央タンク一番ないし三番のライト原油を、そして三号ポンプは中央タンク四番および五番のライト原油をそれぞれ吸い上げて陸送するのであるが、右ポンプを始動するには、その準備として、まず当該タンクの油送パイプのバルブを甲板上の操作によつて開放するとともに、ポンプルーム内のエアコックを開けてポンプ内の空気を抜くのであるが、右に要する時間は通常一分から五分程度とされる。

被告人は、昭和三六年五月に一等航海士の資格を得て、以来貨物船、油槽船に乗り組んでいたが、昭和四三年六月よりペルシヤ湾航路の本件和泉川丸に乗り組むようになり同船による原油の積載、輸送、陸揚およびこれらに従事する乗組員の指揮監督にあたつていたものである。

和泉川丸は、前記堺製油所の原油桟橋に到着した後、同日午後五時五〇分ごろより、被告人の指揮の下に、まず二号および三号ポンプにより、中央タンク内のライト原油の陸揚げを始めたが、当直制により、被告人は同日午後八時にその業務を二等航海士と交替し、次いで翌二日午前四時から当直に入り、船橋楼内のコントロール室において、電話等を使用し、甲板員中道重則および同井上敏昭の二名を指揮し右業務に従事していた。

二、神戸市葺合区磯上通二丁目三番地森本倉庫株式会社は、エッソスタンダード石油株式会社よりの依頼により、和泉川丸塔載中のシリンダーオイル交換のための抜取作業を請負うことになり、同倉庫からその作業のため本件昭和丸と大福丸が派遣されることになつた。

昭和丸は、総トン数14.08トン、長さ14.50メートル、幅は最広部で4.10メートル、深さは船体中央部で1.70メートルで発動機を推進機関とし、昭和二一年四月に進出したという老朽帆船(通称独航艀)で、乗組員は船長横手徳之だけである。一方、大福丸は、総トン数19.51トン、長さ14.10メートル、幅はフレーム一七番の両舷で3.75メートル、深さは中央部で1.25メートルで同じく発動機を推進機関とする汽船(同じく通称独航艀)で、船長中岡久三だけが乗り組んでいた。

昭和丸および大福丸は、神戸港からシリンダーオイル抜取りのためのドラム缶を合計一一五本積載して、前記堺製油所港内に来たり、和泉川丸の到着後原油の陸揚げ開始前に、同船の右舷後尾付近に、いずれも船首を和泉川丸の船尾に向け、和泉川丸寄りに昭和丸、次いで大福丸が互に接着して接舷した。昭和丸と大福丸とは連結して密着状態であつたが、いずれも錨を使用せず、昭和丸が和泉川丸とロープを使用して係留していた。そして、和泉川丸の船腹の脹らみのため、同船と昭和丸とは約二メートルの間隔があつた。

昭和丸と大福丸による和泉川丸エンジン室よりのシリンダーオイル抜取作業は、新日東工業会社の人夫七、八名により、ホースを渡して行われ、和泉川丸到着後の同日午後六時ごろに始まり、翌二日午前零時二〇分ごろ、積載ドラム缶をほぼ一杯にして終了したのであつたが、両船とも翌日の税関手続の時間待ちのため、前記接舷状態のまま夜明を待つていた。

(罪となるべき事実)

被告人は、川崎汽船株式会社所属油槽船和泉川丸(総トン数七万一、五七六トン)に一等航海士として乗り組み、原油の積込み、輸送、陸揚およびこれらに従事する乗組員の指揮監督等の業務に従事していたものであるが、昭和四三年一二月二日午前五時五分ごろ、大阪府堺市築港浜寺町一番地ゼネラル石油製精株式会社堺製油所原油桟橋に係属中の同船内において、同船甲板員中道重則および同井上敏昭の両名を指揮して、同船の二、三号ポンプを使用し、積載中の原油約一一万五、〇〇〇余トンのうち、中央タンク内のライト原油の陸揚げ中、荷受者であるゼネラル石油精製株式会社堺製油所所員より、残量のライト原油を両舷タンク内のヘビー原油と同時に陸揚げしてもよい旨の連絡をうけたので、一号ポンプを使用して両舷タンク内のヘビー原油を同時に陸揚げすることとし、ポンプ室にいた前記井上敏昭に対し一号ポンプの始動準備を命ずるとともに、前記中道重則に命じて両舷各一番、五番タンクのバルブを開放させたが、当時中央タンク内のライト原油の大半がすでに陸揚げされ、これがため舶体が後尾に向つて傾斜している状態にあつたから、このような場合、原油陸揚作業を指揮する者としては、右パイプ開放後直ちにポンプを始動させなければ、船体の右傾斜に従つて、両舷前部の各一番タンクのヘビー原油が両舷後部の各五番タンク内に流れ込んで半開状態の同タンクハッチのアレージホールから噴出することが予測されるから、ポンプ始動準備完了後は直ちに始動を命じ、もつて原油噴出による危険の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、前記井上敏昭よりポンプ始動準備完了の報告を聞きながら、直ちにポンプの始動を命ずることなく、同人および前記中道重則の両名に甲板上に出て油量測定をさせた過失により、両舷各一番タンクのヘビー原油がほぼ満タン状態の両舷各五番タンク内に流れ込み、その結果、同タンクハッチのアレージホールより噴出するにいたらしめ、折から自船右舷後部右側に接舷していた横手徳之(当時四五才)乗組みの帆船昭和丸(総トン数14.08トン)および中岡久三(当時四〇才)乗組みの大福丸(総トン数19.51トン)の各船上に落下させ、昭和丸船橋右端鉄製タイボルトと自船右舷後部船腹部の摩擦によつて生じた摩擦熱から右原油を引火するにいたらしめ、よつて、人の現住する右昭和丸および大福丸を焼燬して沈没させ、その際右中岡久三に対し加療約四週間を要する顔面頭部等第二度火傷の傷害を負わせ、右横手徳之をしてそのころ同所海中において急性窒息により死亡させたものである。(証拠の目標(<略>(法令の適用)<略>

(問題点と当裁判所の判断)

一、流出原油の発火原因について

本件において、被告人の判示過失に基づき流出した原油が如何なる原因により発火したかが大きな争点となつており、検察官は主位的訴因として、判示摩擦熱を挙げるとともに、予備的に、「昭和丸船上の何らかの火気」を附加し弁護人は、昭和丸における機関始動の際の電気火花と推認するのが採証上合理であり、実験則に合致する旨主張する。

当裁判所は、本件原油の発火原因を判示のとおり認定するるのが相当であると考えるので、以下その理由を述べる。

まず、本件流出原油が最初に発火した場所が、和泉川丸右舷外側であり、和泉川丸の船上でなかつたことは、<証拠>により明らかである。そして、<証拠>によれば、当時陸上の監視室前にいた同人は、和泉川丸の右舷船腹を約一〇〇メートルの距離をもつて真正面から見通しうる位置にいて、夜明けで薄暗いとしながらも、和泉川丸右舷後部の救命艇附近下の船腹で、甲板と海面の中間位から火が燃え上つたとし、その燃え広がつた場所附近に同人自身何も見えなかつたことが認められる。このことから考えると、和泉川丸に接舷している昭和丸および大福丸の船内が発火場所ということはできず、従つて、両船の船内に何らかの火気があつたとしても、それれが本件の発火原因になつたと考えることはできない。また、<証拠>によると、原油の落下に気付いて昭和丸に移り、就寝中の横手徳之を起こして後、自船大福丸に戻り操舵室に入ろうとしたとき、上か下か判らないが自分の後方で原油の引火音を聞き、瞬時に周囲が火の海となつたことが認められることから、大福丸船上に何らかの火気があつたとしても、それが本件発火原因ということはできない。

してみると、本件発火原因として考えうることは、発火場所が前記認定のとおりであるから、昭和丸船上の、しかも同船船橋の上部(同船橋の高さはほぼ一メートル五〇ないし六〇センチ位と認められることは、前記証人中岡久三の供述記載より明らかである)と和泉川丸船腹の中間位までの間の何らかの火気ということになろう。

昭和丸は、前記のとおりの老朽船であつて、その操舵室を固定させるため、三寸角の木材をその屋根に渡し、同室前面の両側から鉄製の棒を当て、鉄製ナットで右鉄棒を上と下とで締めて固定させてあつて、そのナットが鉄棒表面から約三センチ位凸出していて、昭和丸が揺れ動けば、右上部右端のナットの先端が和泉川丸の右舷船腹に接触する状況にあつたことが、前記証人中岡久三の供述記載により認められる。しかるところ、本件事故発生当時の海上は風速約2.7メートルと無風状態に近く、波浪もほとんどない状態であつて(右供述記載および大阪管区気象台長作成の気象資料照会回答書)、そのままの状態では、右タイボルトのナットが和泉川丸の船腹に接触したとしても、原油を引火せしめるに足る熱を発生させるとはいえない。しかしながら、昭和丸が和泉川丸からロープをとつて係留している状況に加え、約八メートルないし一〇メートルの落差をもつて、和泉川丸甲板上から昭和丸船上真中あたりに、流出原油が相当の勢で落下して来た(証人中岡久三の供述記載)、しかも、その流出量は、原油の噴出を発見して和泉川丸左舷五番タンクのバルブを締めた甲板員中道重則の検察官に対する昭和四三年一二月七日付供述調書によると、同タンクハッチより流出した原油はドラム缶二、三本分位であるということから、右舷五番タンクから昭和丸船上に流出した原油も同程度のものであろうと推測されるのであつて、それが一度に落下したものではないとしても、その落下した原油のしぶきが隣の大福丸船上半分位かかつていたということ(証人中岡久三の供述記載)からして、粘稠性ある右原油の落下により昭和丸が揺れ動いたと推測することができ、シリンダーオイルをドラム缶五〇本以上も積載した昭和丸の右動揺により、その操舵室右端の鉄製タイボルトのナットが銅質の和泉川丸船腹と接触し、それにより原油を引火せしめる程度の熱を発生させたと考えることは何ら不合理でないと思われる。

昭和丸船上の火気という場合、機関始動によつて排気管から吐出される熱または火粉ということも一応考えられるところであるが、横手徳之が昭和丸の機関を始動させていないことは前記証人中岡久三の供述記載および司法警察員堀口金男作成の昭和四三年一二月一四日付実況見分調書により認められるところであり、仮に機関の始動があつたとしても、その排気管は昭和丸左舷中央部にいわば横付き状態で隣の大福丸に向けて排気される構造となつている(右実況見分調書)ことからして、果して前記発火場所にまで排出された熱または火粉が到達するものか疑問であろう。

以上のとおり、前認定の発火場所から考えると、本件原油の発火原因として、判示のとおり考えるほかなく、本件証拠上これ以外に合理的に推測しうる原因は見当らない。

二、被告人による本件発火および死傷結果の予測可能性

弁護人は、本件事故発生当時、昭和丸および大福丸の和泉川丸の接舷は、両船のシリンダーオイル抜取作業終了後のことであり、荷役終了後は直ちに和泉川丸より離舷しなければならないことに違反したもので、被告人において本件事故発生当時まで接舷していたことを予測しえず、従つてまた、本件流出原油の発火および死傷の結果も予測の範囲外にあつた旨主張するので、この点につき検討する。

和泉川丸が堺港に入港後に、従来エンジンの潤滑油として使用中のエッソ・トロマーS七五のシリンダーオイルをエッソトロマーSV一〇〇に変更するため、同オイルの抜取りが行なわれるということは、同船の航行中、川崎汽船の本社調度課から和泉川丸船長野村勲宛に電報が届いており、このことは同船長から被告人および機関長にその旨連絡されたことおよび和泉川丸は堺港入港後荷役を終えて一二月三日午前九時に再び出航の予定であつたこと、従つてその出航までに右オイル交換が行なわれるものであるということは、第五回公判調書中証人野村勲の供述記載および権田元雄の司法警察員に対する供述調書により認められる。一方、被告人自身、事故前日の一二月一日午後七時ごろ、和泉川丸甲板上から、船倉一杯にドラム缶を立てて積載している大福丸の接舷事実を目撃している<証拠略>のであるが、前記のとおり、そのころは昭和丸および大福丸によるシリンダーオイル抜取作業中であつた。

なるほど、右作業にかかる前、昭和丸および大福丸の荷役終了後は直ちに和泉川丸より離れ安全な位置に退去する旨の条項の入つた、両船の船長および和泉川丸の船長の連名をもつて、堺海上保安署長宛荷役計画書が提出されていることから、昭和丸および大福丸が右抜取作業を完了した一二月二日午前零時二〇分ごろから本件事故発生当時まで、なおも和泉川丸に接舷していたということは、右荷役計画書の届出条項に違反しているということができるが、被告人自身、両船の荷役がいつ完了したかを知らず(船長代理の立場にあつた被告人としてこの点何らの調査もしておらない)、従つて、仮に被告人が右条項を知つていたとしても、両船による接舷継続の事実を予測できなかつたというのはあたらない。従つて、被告人としては、本件事故当時も昭和丸および大福丸がなおも和泉川丸に接舷していたことを予測しえたものというべく、本件原油の流出と右両船の接舷とが原因となつて惹起された本件発火および死傷の結果も予測可能性の範囲外であつたとする弁護人の前記主張は採らない。

(量刑理由)

本件は、超大型油槽船の一等航海士たる被告人の、荷揚操作上の不注意から、積載中の原油を外部に溢出させ、これに引火して二隻の艀を焼燬させるとともに、一人の生命を失わせ、一人に傷害を負わせたというものである。かかる大型油槽船の原油を外部に流出させることは、火気使用とともに、その乗組員として最も注意すべきことであり、本件原油の引火が被告人ら乗組員の必死の消火活動により、幸いにも和泉川丸の原油タンク内に移らなかつたけれども、もしもこれに飛火した事態を考えると、和泉川丸自体はもちろん、恐らく現場から一〇〇メートル位離れた大小多数の原油貯蔵タンクにまでその火力がおよび、まさに重大な結果を招来したであろう。このことを考えると、被告人の本件過失は到底軽視できるものでなく、本件結果を併せ考えると禁錮六月の体刑もやむをえないといわねばならない。

しかしながら、原油噴出の知らせを受けてからの被告人は在船員を総動員し、これを指揮して冷静に消火活動にあたり前記のような大惨事を防止した。その活躍には特筆すべきものがある。一方焼燬した死傷の結果を生じた昭和丸および大福丸は、その船長が荷役計画書通り荷役完了後直ちに和泉川丸から離舷しておれば、かかる結果を回避しえたことは明らかであり、両船長の右計画書違反の行為が本件結果を惹起する一つの原因となつており、被害者たる両船長も一半の責任を負うべきであろう。その他、死亡した横手徳之の遺族および中岡久三と川崎汽舶株式会社との間に完全に示談が成立していること等諸般の事情を考慮して、被告人に対し右刑の執行を二年間に限り猶予することにした。(逢坂芳雄)

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